Vol.25 The Nightfly Donald Fagen 1982
50年代のジャズやR&Bテイストの
サウンドに込められた、サバービアンの夢想。
ナイトフライ/ドナルド・フェイゲン
スティーリー・ダン解散後に出した、フェイゲンのファーストソロは、フランク・シナトラが歌っても似合いそうな、50年代のR&Bやジャズをコンテンポラリーなサウンドで再現したようなポップス色濃いアルバムとなった。全米11位。
『ガウチョ』をリリースした翌年の1981年、スティーリー・ダンは解散。『ガウチョ』は、前作『Aja』で到達した洗練の極みを突きぬけ、極北まで行ってしまったような作品になった。偏執的なレコーディングとやり過ぎともいえる構築美が、心地良さまで奪ってしまった。
その1年後に出たフェイゲンのソロアルバムは、『ガウチョ』とうって変わって、実に聴き心地の良いAORサウンドに仕上がった。
フェイゲンによると「50年代後半から60年代初めにかけて、アメリカ北東部にある街の郊外で育った若者が、抱いていたはずのある種のファンタジー」がアルバムのテーマだ。
その言葉どおり、サウンドは全体的に50年代、60年代のジャズやR&Bテイストが色濃いもので、ドリフターズの「Ruby Baby」を除いて、すべてフェイゲンのオリジナルだ。
スティーリー・ダンのアルバムの方が似合う曲も少しあるが、大半はジャズやR&Bのスタンダードナンバーと言われても違和感のない曲が揃っている。
ここには、スティーリー・ダンのような変態的な緻密さはほとんどなく、スリリングな演奏もない。ラリー・カールトンなど名うてのミュージシャンたちを贅沢に起用してはいるが、歌を前面に出した、しゃれた雰囲気のサウンドになっている。
ただ、シニカルな視線は健在。たんに80年代から見た50年代へのノスタルジーではない。50年代とはアメリカ史において繁栄の時代であり、世界戦略の礎が築かれた時代だ。アメリカの豊かさのイメージの原点でもある。
そうした輝きは一方で影を生み、闇へと肥大して、混乱の60~70年代を招く。そのあたりのことは著名なアメリカのジャーナリスト、ハルバースタムの力作『ザ・フィフティーズ』に描かれており、『ナイトフライ』にも通底している。
歌詞や題名に<山の手の住宅街の殺人事件>、<共産主義者がミサイルを押したときに>、<ニューフロンティア(J・F・ケネディが掲げた政策名)>といった言葉が登場することからも想像できるとおり、豊かさの象徴の一つでもある、サバービアン(郊外生活者)の夢想には、やはり、ほのかな恐怖も見え隠れする。
『ナイトフライ』ですっかりリハビリしたかに思えたフェイゲンだが、その後は引退同然で次作が出たのは1993年。相棒のベッカーも同時期、ドラッグ中毒で療養生活とさんざん。『ガウチョ』の後遺症は予想以上だったのか。
アルバムジャケットに漂う、エドワード・ホッパーの絵のような空虚感は、無理に明るく振る舞おうとしたために、余計に喪失感が深まった姿の表れではないか…というような深読みも楽しめる『ナイトフライ』なのであった。
♪好きな曲
I.G.Y
ポップなメロディとレゲエのリズムにのって、素晴らしい時代がやってくる~と歌われるが、それ自体が皮肉かも。シングル曲で全米26位。
Green flower street
アルバム中最もスティーリー・ダン度の高い、R&Bタイプの曲。ギターソロはラリー・カールトン。
Walk between raindrops
弾むようなメロディとスイングするオルガンジャズのようなグルーブが心地よい。